Lesson8-2では、紅茶の本場イギリスのティー文化を中心として、「茶」の歴史について述べていきましょう。
コーヒーハウスと茶の広がり
17世紀の半ば、他のヨーロッパ諸国に少し遅れてイギリスにも喫茶の習慣が広まります。発端は当時大流行していたコーヒーハウスです。当時のコーヒーハウスは、情報交換の場として男性のみに解放された喫茶店のような施設でした。そのうちの一つ「ギャラウエイ・コーヒーハウス」が「茶」を扱うようになり、それが広まっていきます。
当時コーヒーハウスで供されていた茶は、薬缶や鍋で煮だした後樽の中に入れて保管され、ビアマグのような陶器に入れて出されました。アイドル、バーメイドと呼ばれる女性の給仕人がお茶を入れてくれることもあり、この女性が美人だと彼女を目当てにやってくる客も多かったといいます。
薬理効果のある高級品
茶は最初の頃は薬理効果が期待されていたため、嗜好品ではなく「体に良いもの」ということで飲まれていました。当初売られていた茶は、オランダが中国や日本から買い付けた茶をイギリスが輸入したものだったため、非常に高価なものでした。(当時の労働者階級の年収が4ポンド程度に対し、1ポンド(約450g)につき6~10ポンド)
イギリスにの財政源に
イギリス政府は、コーヒーハウスで提供される茶1ガロン(約4.5ℓ)に対して、8ペンスの税金を課しました。茶は、政府を支える大きな税収源としての役割も担うようになっていきます。
イギリス激動の17世紀と喫茶文化の変化
こうしてイギリスに喫茶の習慣が広まっていきますが、時代は世界史の中でも大きく揺れ動く時代へと差し掛かっていました。
1640年に起きた清教徒(ピューリタン)革命は、イギリス国内を混乱させ、さらに1660年には王政復古、そのおよそ30年後には再び革命がおこり(名誉革命1688)、イギリスは大きな転換期へと突入していくのです。
そうしたなかで、喫茶は宮廷文化として発展していくこととなります。
