メアリⅡ世と茶文化の発展
名誉革命で国王夫妻がフランスへ逃れた後、イギリスはジェームズⅡ世の娘メアリⅡ世が王位を継承しました。
メアリⅡ世は、幼くしてオレンジ公ウィリアム(オランダ総督兼英国王ウィリアムⅢ世)のもとへと嫁いでいたため、オランダの宮廷に親しみ、完璧な宮廷喫茶の作法を身につけていました。
シノワズリーと茶輸入量の増大
彼女は磁器の収集が趣味で、ケンジントン宮殿や、ハンプトンコート宮殿の各部屋にこれを飾りました。そのセンスの良さはたちまち上流階級の人々を虜にし、女王にならって東洋の磁器を中心とした品々をコレクションすることがブームとなります。こうした趣味を「シノワズリー(中国趣味)」と言います。
メアリⅡ世が即位した1689年、イギリス東インド会社は、ついに中国厦門で「茶」の直接貿易という念願を実現させます。これにより茶の輸入量は増大し、それに伴って価格も安定していきました。
ボヒー茶の誕生
ちょうどそのころ、中国の茶の銘産地福建省にある武夷山で、新しい「茶」が生まれていました。緑茶とは異なる方法によって作られるお茶、「武夷茶(ボヒー茶)」です。
このお茶の誕生には諸説ありますが、これこそが現在のウーロン茶に近い半発酵のお茶でした。イギリス東インド会社は、早速このお茶の輸入を始めます。ボヒー茶は、硬水であるイギリスの水や、ミルクを入れる飲み方によく合い、緑茶よりも海上運搬による痛みが少なかったことなどによりたちまち注目を集め、18世紀の後半には緑茶を上回る勢いとなりました。
茶会スタイルの変化
ホビー茶の流行により、茶会のスタイルが大きく変化します。主催の女主人が「緑茶とボヒー茶、どちらのお茶がお好みですか?」と尋ね、客は「どちらでも結構です」と答えるマナーが確立されました。
また緑茶とボヒー茶をブレンドすることも流行します。いずれにしても、高価で贅沢な茶を、客人の前でこれ見よがしに自慢しつつ茶を供するということが、一つのスタイルとなったわけです。
ティーキャディ
この時に用いられたのが「ティーキャディ」です。写真は19世紀初頭のもので、両側に緑茶とボヒー茶を保管し、真ん中のガラス製のボウルで茶をブレンドするタイプのティーキャディです。箱には鍵穴が付いており、「茶」が鍵をかけて主人が保管しなければならないほどの貴重品であったことがよくわかります。
貴婦人らは、この箱の美しさも競い合ったといいます。
茶税の廃止と関税の導入
また、1689年には、コーヒーハウスの茶にかけられていた茶税は廃止され、代わりに茶葉1ポンドにつき25セントの関税がかけられるようになりました。コーヒーハウス以外での喫茶が普及しつつあったため、政府は茶葉そのものに税をかけることにしたのです。
これが、後に世界を再び大きく動かしていくこととなります。

