Lesson9-1 東インド会社の独占

世界史を動かしたお茶

世界が辿ってきた歴史的な出来事には、学校の教科書では知り得ない様々な背景があります。世界を影で動かしてきたものにはスパイスや砂糖、コーヒーなど様々なものがありますが、紅茶をはじめとする「茶」もその1つです。

 

東インド会社の独占

茶が重要な税収財源の1つに

「茶」が普及するにつれて、中産階級でも家に人を招きもてなすことができるようになると、コーヒーハウスは姿を消し始めます。代わりに「茶」はますます人々の間に広まっていきました。それとともに、「茶」は税収を得るための財源の1つとなっていきます。

茶と政府財源年表

・1711年・・・スペイン継承戦争(※1)の戦費調達のために、茶の関税が1ポンドの重さに対し5シリングに値上げされます。さらに茶を保税制度(※2)の対象としました。
・1717年・・・イギリスは、広東港での貿易権を獲得したため、大量の茶の入手が容易になり、輸入量が爆発的に増加しました。
・1721年・・・他のヨーロッパ諸国からの茶の輸入をすべて禁止し、イギリス国内の茶は事実上、イギリス東インド会社の独占販売となります。
・1723年・・・すでに保税制度の対象となっているにもかかわらず、茶・コーヒー・ココア専用の「保税倉庫」を設置し、関税を採り逃さぬように全ての貿易会社に対して保税倉庫の利用を義務化し、取り締まりを強化しました。

1784年までの間にイギリス東インド会社の正規輸入の茶にかけられた関税は100%でしたから、「茶」の国内価格は原価の2倍ということになります。

東インド会社の硬貨 Yaroslaff/Shutterstock.com

東インド会社の硬貨 Yaroslaff/Shutterstock.com

 

茶の密輸の広がり

こうした高額な関税、イギリス東インド会社の独占販売は、茶の密輸を招くこととなりました。オランダ東インド会社のみならず、フランスやデンマークなど、各国の東インド会社はイギリスの市場に提供するための茶を仕入れ、これを密輸して利益を得ていきます。

このように高額な関税がかけられているにも関わらず「茶」の人気は衰えることを知らず、イギリス東インド会社の輸入量は増加を続けました。密輸が横行していましたが、株主に8%の配当をつけられるほど、イギリス東インド会社は利益を得ていたのです。

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偽茶の登場

こうした密輸茶の横行と同時に偽茶も出回るようになります。

他の木の葉で作った偽茶を、かさを増すために混ぜるといったことはまだ良い方で、色の褪せた古い茶葉を、硫酸塩鉱物や羊の糞で着色して売る者まで出てくるようになります。上流階級の人たちが使ったあとの出がらしをこっそり屋敷から持ち出して、小遣い稼ぎをする者もありました。

「本物」を知らない労働階級の人々

このような偽物がまかり通った理由は、労働者階級の人々が本物の「茶」を飲んだことがなかったからです。そのため偽物と本物を見分けることができませんでした。さらに、こうした偽茶には密輸業者も関わっており、密輸茶のなかにも偽茶が混じることが度々ありました。

政府は取り締まりを強化しましたが、結局全てを監視することはできず19世紀の半ばまで偽茶は盛んに出回ることとなります。

ボヒー茶の消費が増大した理由

この偽茶の広がりは緑茶が顕著でした。抽出した水色が赤味を帯びるボヒー茶は偽茶を作りにくく、そのため真贋を見分けることに自信のない人々はボヒー茶を選択するようになります。これが、ボヒー茶の消費を増大させる一因になったという説もあります。

 

茶道具の需要増大

「茶」の消費拡大に伴って、茶道具の需要も増加します。バラスト(※3)としても都合の良かった磁器は、人気の高さもあってイギリス東インド会社の主力商品の一つとなります。

こうした東洋の磁器に影響されて、ヨーロッパでも磁器生産のための努力が重ねられていきました。これについては、「Lesson11 あこがれの白い器」で詳しく学習します。

 

※1 スペイン継承戦争:スペインの王位継承権を巡ってヨーロッパ諸国でおきた戦争。なお、これに呼応して起きた北アメリカ大陸での局地戦をアン女王戦争という。
※2 保税制度:国の認可を受けた特定の場所や倉庫に、関税等を納付せずに一時保管しておける制度。輸入商は、定められた保管期間のうちに商機を見てこれを引き取り、その時に関税を払うという仕組み。
※3 バラスト:船の積み荷のバランスをとるための重り。