Lesson9-2 ティーガーデンの流行と茶論争

コーヒーハウスの衰退に代わって、「茶」を普及させることとなったのが「ティーガーデン」です。

Mallmo/Shutterstock.com

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ティーガーデン

ティーガーデンは茶や軽食を取ることができる娯楽施設で、老若男女、身分階級を問わず、誰でもが楽しめる施設だったため大人気となります。

庭園には美しい木々が植えられ、人工の池や彫像が配置されていました。また、遊歩道や生け垣の迷路なども設けられており人々を楽しませました。ティーガーデンには、ティーハウスという屋根つきの建物があり、そこではバターつきパンの他、茶やコーヒー、ココアなどが提供されました。

市民の憩いの場

ティーガーデンが次第に増加してくると、それぞれの差別化が図られ設備も多様化していきます。オーケストラのコンサート、花火、ダンスパーティーといったイベントが開催されるようになり、初めは無料だったティーガーデンも、次第に有料になっていきます。

入場料は労働者階級の日給とほぼ同程度ではありましたが、家族全員で楽しめる娯楽施設が少なかったこの時代、ティーガーデンは市民の憩いの場として大変な盛況となりました。

メリルボーン・ティーガーデンは、1650年オープンしたものです。中央を通る並木道の美しさが評判となりました。

 

「茶」をめぐる論争

オランダで「茶」が普及した当時、家庭を崩壊させかねない「茶」について論争が巻き起こりましたが、イギリスでも「茶」を巡りさまざまな論争が始まるのもこの頃からです。

日常生活に欠かせなくなった飲料が、本当に体にいいものなのかどうか、医学的な検証をする人たちがあらわれはじめます。

利点の方が多いとしたトマス・ショート医師

イギリスで最初に「茶」に関する医学的な見解を発表したのは、トマス・ショート医師でした。彼は1730年と1750年に、2冊の『茶論』を出版します。彼は、「茶」には医学的な利点があること、逆に体に害になることもあることを、具体的な文献資料や実験を行ってまとめあげ、「茶」が及ぼす社会的、経済的な影響も含めて、「茶」には利点のほうが多いということを指摘します。

上流階級の喫茶習慣を批判したジョナス・ハンウェイ

商人であり慈善家でもあったジョナス・ハンウェイは、1757年に『茶についての25通の手紙』を出版し、「茶」は、イギリスの社会に害悪を与えるものなので、特に「茶」文化の中心にある上流階級の女性たちに向けて喫茶の習慣を放棄するように訴えました。

25通の手紙の中で、自分は公正な目で「茶」を評価すると宣言した上で、健康、時間、道徳観念、経済面といった「茶」の弊害を次々と述べました。その中には、貧民が「茶」を買うと食べ物にまわすお金が無くなる、喫茶の影響で最近は美人が減った、など個人的な見解と思えるようなことまで含まれています。

多くのイギリス人の共感を得たサミュエル・ジョンソン博士

ハンウェイの意見に痛烈な皮肉を含めて反論したのが、サミュエル・ジョンソン博士です。

無類のお茶好きとして知られていた博士は、「ハンウェイのような公正な判断はできないが」と皮肉を加えた上で、その主張を頭ごなしには否定せず、ハンウェイが「茶」の弊害だと訴えていることの原因は実は産業革命による生活環境の変化にあること、「茶」を楽しむ人はそれそのものが目的なのではなく、楽しく時間を過ごすための口実であり、「茶」を囲むティーテーブルに惹かれて集まってきているのだということを指摘しました。

この考えに多くのイギリス人が共感したことは言うまでもありません。

ジョン・コークレイ・レットサムの18世紀茶論の最高傑作

またジョン・コークレイ・レットサムが1772年発表した『茶の博物誌』は、18世紀茶論の最高傑作と言われています。日本では、講談社学術文庫から出版されています。

 

茶が人気となったもう1つの理由

こうした論争は相次ぎましたが「茶」の人気は衰えることを知らず、輸入量は増加していきました。「茶」が社交の場に欠かせないものであったことはもちろんですが、もう1つの理由は、労働者にとってもジンよりも健全な飲み物であったからです。

当時の労働者は、簡単にカロリーを補給できるとしてジンを飲んでおり、子どもにも飲ませていたといわれています。この様子を描いたのが、ホガースの有名な「ジン横丁」ですが、こうしたアルコールに比べれば、「茶」ははるかに健全な飲み物でした。

少しの茶葉でもお湯で抽出して飲むことができ、茶葉が何度も使用できることも労働者には好まれました。さらに、食卓の冷えた食べ物に添えると、食事が温かく感じられる点も人気の理由の一つです。また次第に砂糖の価格が下がり一般にも普及することにより、カロリー摂取のための飲み物としての役割も果たすようになります。

こうして全ての階級に「茶」が広まると、イギリスの「茶」の輸入量はさらに爆発的に増加し、やがてそれが世界を動かす火種となっていくのです。

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