好きな飲み物と軽い食事を一緒にとることができるカフェや喫茶店は、今日ではいたるところで見られます。このようなサービスが提供されるようになったのは、19世紀の後半になってからです。
どこでもお茶が楽しめる国・イギリスへ
近代的なティールームの起り
エアレイテッド・ブレッド・カンパニー
「エアレイテッド・ブレッド・カンパニー(ABC)」というパン屋が、紅茶とパンをイートインできるスペースを店内に設けたことが始まりとされます。これが大変な人気となり、1884年にはオックスフォードサーカスに近代的なティールームがオープンします。
ティールームは、女性が男性のエスコートがなくても利用できる店として人気を集めました。値段も手ごろで、またABCは駅の傍にある店舗が多かったため、待ち合わせの場所としても多くの人に利用されるようになります。その結果、ABCはロンドン市内に150店舗を持つまでになりました。
ウィロー・ティー・ルームとアール・ヌーボー
その他次々と同様の事業を展開する企業が増えていきます。そのなかに1903年にオープンした「ウィロー・ティー・ルーム」がありました。このティールームは、新進気鋭の建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュによる設計、内装、家具、ウエイトレスのユニフォームデザインで話題となります。
この店は、新芸術(アール・ヌーボー)の空間となり、のちに「デザイナーズ・ティールーム」の先駆けとなります。
女性の社会進出とティールーム
こうしたティールームは、社会進出を始めたばかりの女性に支持され、さまざまなお店が展開されていきます。女性に好まれるような雰囲気を持つ店も増えていきます。
特に、ABCの最大のライバルとなったライオン社のティールームでは、ホールで働くウエイトレスが人気になります。彼女たちは、当時の女性の社会進出を表す流行語「ニッピー」の愛称で呼ばれました。上流階級の屋敷で使用人として働くメイドのイメージから脱却し、フリルのないスタイリッシュなユニフォームを着用した彼女たちは、キビキビと店内を動き回り、その姿は若い女性の憧れの的となりました。
女性の好むティーフードで人気を博した店もたくさん出てきます。ハロッズなどのデパートの中には、店内にティールームをオープンさせ、アフタヌーンティーを提供するところも現れます。
こうしたティールームの広がりは女性に外出を促すきっかけとして働き、次第に社会にも変化が生じていくこととなります。
ガーデンティーパーティーの流行
また、ヴィクトリア朝の後期には、王室や社交やチャリティー活動の一環として、貧民などを大勢招待して催すガーデンティーパーティーが流行します。こうした活動では、リプトン社などが多額の資金援助を行いこれを支えました。
さらに列車の中でも紅茶を提供するサービスが展開されるようになり、駅のプラットホームでは、ティーワゴンによるお茶の販売も始まります。列車だけではなく、船の中でも同様にこうしたサービスが行われ、もはやどこに行ってもお茶が楽しめるという社会が、イギリスに完成したのです。
