紅茶のニュースタイルの発展
現代の紅茶と言えば、スタンダードとなっているのはティーバッグの紅茶でしょう。茶葉を測ったり、処理したりする手間がなく、気軽に楽しめるティーバッグは、忙しい現代人にも重宝する画期的な発想だといえます。
このティーバッグを発明したのもイギリス人でした。しかし、1896年にイギリス人スミスという人物が発明したとされていますが、当時のイギリスでは評価されず、商品化にも至りませんでした。
アメリカで広まったティーバッグ
本格的に商品化されたティーバッグは20世紀初めのアメリカに登場します。このティーバッグは、もともと業務上の必要性から開発されたものでした。
ニューヨークの茶商、トーマス・サリバンは、サンプル用の茶葉を絹のガーゼでできた小袋に詰めて、得意先のレストランやホテルに送っていました。効率を重視する顧客の中には、この小袋に入った紅茶が大変便利であると話題になり、想定もしていなかった「小袋」の注文が舞い込みます。そこで、サリバンは「小袋に入った紅茶」を商品化することを思いたというわけです。
レストランから家庭へ
1920年代、最初のティーバッグはホテルやレストランなどに卸されていましたが、次第にその利便性が認められ家庭にも普及していきます。1950年には、ついに家庭用が8割に逆転、アメリカの紅茶消費の7割はティーバッグという状況にまで至りました。
合理的なものを好み、常に新しいものを求めて発展していくアメリカらしい文化は、紅茶の文化にさらに新しい1ページを加えます。
アイスティー発明
1904年、アメリカのミズーリ州で開催されていた「セントルイス万国博覧会」において、イギリス人のリチャード・ブレチンデンは、真夏の炎天下紅茶を販売していました。
しかし、会場の人々は、暑い時に熱いものなど見向きもしません。そこで、紅茶の容器に氷を浮かべて「アイスティー」にしたところ、これが爆発的なヒットとなりました。こうして、アメリカ人の間にアイスティーが普及していきます。
現在でも、アメリカ人の紅茶の飲み方はアイスティーが主流となっています。面白いことに、イギリス人が行った工夫でありながら、アイスティーも当時のイギリスでは不評で、見向きもされなかったといいます。
新しいアフタヌーンティー文化
ティーダンス
この時代、イギリスとアメリカの双方の国では、高級ホテルのラウンジでのアフタヌーンティーを楽しむ人々が増えていました。
そのとき、ラウンジの娯楽として楽しまれたアルゼンチン・タンゴが大流行します。情熱的なメロディーと踊りが人々を虜にし、ダンスホールではプロのダンサーによるデモンストレーションが行われ、タンゴを教えるダンススクールも人気を集めました。
人々は、これを「ティーダンス」と呼び、クラブなども作られていきました。
ファイブ・オクロック・ティー
こうしたアフタヌーンティーが流行しても、人々は伝統的なアフタヌーンティーの様式も大切にしていました。
イギリス王室が、これまで午後4~5時にスタートするということの多かったアフタヌーンティーを、午後5時に開始するというルールを作ります。これに上流階級や中産階級が習ったので、「ファイブ・オクロック・ティー」の言葉が流行しました。
自宅でゲストを招いて行うアフタヌーンティーの伝統を、イギリスの人々はとても大切にしていたのです。

