ジョージⅣ世と磁器
19世紀初頭に即位したジョージⅣ世は、大変な浪費家として有名です。
彼が30年の歳月をかけて完成させた宮殿「ロイヤル・パビリオン」は、インド風の外観にシノワズリーの内装で、見る人に強烈な印象を与えました。彼はその宮殿において、ダンスパーティにギャンブル、晩餐会に音楽会等々を頻繁に開きました。その放蕩ぶりは、国民を呆れさせるほどで、借金は年間の王室費の半分に相当したといわれます。
ジョージⅣ世が愛した伊万里焼
そうした彼が愛したのが、日本の「伊万里焼」の「金襴手(※4)」です。
金襴手は、華麗な庶民文化が花開いた江戸時代の元禄期にブームとなり、華やかな花の文様などが好んで描かれました。装飾性が高いので、日本国内はもとよりヨーロッパの宮殿でも大変もてはやされました。
クラウンダービー窯の「イマリ」
さて、そうした伊万里を愛したジョージⅣ世の影響で、多くの窯がイマリパターンの磁器の製作に取り組みました。なかでも、1775年に発表されたダービー窯のイマリには高い評価が下され、さらにジョージⅣ世によって「クラウン」の称号が与えられました。
以後、ダービー窯は「クラウンダービー窯(royalcrownderby)」と改名します。こうして、クラウンダービー窯の「イマリ」は、マイセン窯の「柿右衛門写し」と並んで、日本風パターンの典型となりました。
銅版転写技術とブルー&ホワイトの流行
こうした王侯や貴族らの間で流行した華やかさとは別に、庶民の間ではブルー&ホワイトの実用的な食器が人気となりました。
スポート窯のブルーイタリアン
その代表として、1816年にスポード窯から発表された「ブルーイタリアン」のティーセットがあります。
スポード窯では、すでに開発が進んでいた白磁に銅版転写をするという技術で、古代ローマの情景にイマリ写しの装飾模様の縁取りを組み合わせ、これをブルーの濃淡だけで描くという作品を完成させます。
墨絵のような雰囲気をもったシンプルな美しさを放つ食器は、労働者階級の素朴な家庭のインテリアにもよく似合ったので、大変な人気となりました。
ミントン窯のウィローパターン
また、1780年ごろから普及し始めていた「ウィローパターン(柳模様)」もロングセラーとなっており、多くの窯で製作されましたが、これを完成させたのはミントン(MINTON)窯といわれています。
ウィローパターンは、松や柳などの中国の典型的な山水画のパターンで、初期のころにはいろいろなモチーフが窯ごとに描かれていましたが、19世紀に入るとある程度統一されるようになりました。
銅版転写という技術が確立され、安価なティーセットが普及したことにより、労働者階級の家庭でも気軽にお茶を楽しむことができるようになりました。これによりティーセットの需要はますます高まっていきます。
※4 金襴手:陶磁器の手法の一つ。色絵や染付のあとに、金箔を焼き付けたり、金泥で文様を描いたりする。明の景徳鎮で完成し、伊万里が模倣した。

