すでに学習したように、磁器は生産にコストがかかるため、庶民の家庭ではなかなか使えなかったために、イギリスはもちろんのこと、ヨーロッパ大陸でも当時庶民に普及していたのは前Lessonで学習したオランダの「デルフト焼」でした。この「デルフト焼」に大きなゆさぶりをかけることになったのが、ジョサイア・ウェジウッドです。
ウェジウッドはスポート窯よりも少し早い1759年から操業を始めており、これは清の乾隆帝が海外との貿易を広東に限るという政策を打ち出した1757年のすぐ後となります。
ウェジウッドの発展
クリームウエアからクィーンズウエアへ
ウェジウッド(Wedgwood)は、白い粘土に火打石の粉を混ぜて焼いたクリーム色の素焼に、鉛の釉薬をかけて、表面が磁器のように半透明になる技法を開発、磁器のように白く、かつ熱湯に入れても割れない陶器を作り出すことに成功します。これが「クリームウエア(クリーム焼)」と呼ばれ、大人気となりました。
さらに時のジョージⅢ世の王妃シャルロットからティーセットの注文を受けたことにより、「クリームウエア」は「クィーンズウエア」と改名、世界で最高と称賛されるまでになりました。
「クリームウエア」は、作業工程を簡素化することにより、生産コストを大幅に抑えただけではなく、実用品でありながらも美しいという特徴をもっていたために、多くの人気を集めました。こうして、イギリスだけではなく輸出品として大陸へも進出していくこととなります。この結果、大陸の「デルフト焼」職人には少なからぬ影響を与えたといわれています。
エカテリーナⅡ世とフロッグサービス
さらに1773年には、ロシアの女帝エカテリーナⅡ世に約1000点からなる大作のオーダーを受けるに至りました。作品にはすべてカエルが描かれているので、この作品は「フロッグサービス」と呼ばれています。
新古典主義とジャスパーウェア
ウェジウッドには、クィーンズウエアのほかにももう一つ、特筆すべき作品があります。それが、「ジャスパーウェア」です。
18世紀の後半、ポンペイ(※3)の発掘を機に「新古典主義」運動が盛んになります。これは、古代ギリシャやローマのような古典的な美しさを見直そうとする動きでした。そうしたなか1774年にウェジウッドが発表したのが「ジャスパーウェア」です。
開発に4年、数千回の試作を重ねて完成したこの作品は、磁器に近い「炻器(せっき)」を下地としたもので、ブルー、グリーン、ブラック、グレー、ブラウン、ピンク、イエロー、ライラックなど、優しく多彩な彩りが特徴の新古典主義にふさわしい作品となります。
カメオ風の装飾が特徴で、ギリシャやローマの神話などをモチーフとしており、ジャスパーウェアは、ティーカップだけではなく、室内装飾やボタンなどの服飾にも用いられ、新古典主義を標榜する貴族の館にはなくてはならないものとして大いにもてはやされました。ジャスパーウェアのさまざまな作品は、現在でもウェジウッドのシンボルとして根強い人気を誇ります。
※3 ポンペイ:イタリアのナポリ近郊にあった古代都市。ベスビオ火山の噴火により、一夜にして火砕流に埋まってしまったとされる。世界遺産。
