Lesson11-5 アフタヌーンティーのはじまり

全盛を迎える紅茶文化とヴィクトリア朝

1837年6月、イギリスで18歳の若い女王が即位しました。ハノーヴァー朝第6代の君主、ヴィクトリア女王(在位:1837 – 1901)です。

彼女はこののち、インドをはじめ世界各地に版図を拡大させ、大英帝国を空前の繁栄へと導くことになります。ゆえに彼女の治世は、特に「ヴィクトリア朝」と呼ばれることもあります。イギリスの紅茶文化も、まさにこのヴィクトリア朝に全盛を迎えます。

エキゾティックバード

女王は、結婚の記念にミントン窯にティーセットをオーダーします。これが「世界で一番美しいボーン・チャイナ」と大絶賛された「エキゾティックバード」のトリオです。(※5)

産業革命とアフタヌーンティー習慣の始まり

ヴィクトリア女王の時代、英領インドではアッサム種、中国種の栽培が始まります。製茶はやがて機械化され、より安価に大量のお茶がイギリスへ入ってくるようになっていきました。もはや、誰でもが気軽にお茶を楽しめる時代へと突入したのです。

産業革命の進んだイギリスでは、この時代家庭用のランプが普及したことなどにより、人々の生活は次第に「夜型」となっていきました。その結果、夕食の時間も次第に遅くなり、昼食と夕食の間が長く開くようになります。この間の空腹を補うために生み出されたのが、「アフタヌーンティー」の習慣です。

アンナ・マリアとアフタヌーンティー

ベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリアは、この昼食と夕食の間の空腹をまぎらわせるために、お茶を飲むようになりました。当時は、お茶を空腹時に飲むのは胃によくないということで、一緒にバターつきのパンなどを食べる習慣がありました。やがてマリアは、このお茶の時間をカントリーハウス「ウーバンアビー」の応接間にゲストを招いて過ごすようになります。

次第にこの習慣は定番となり、ゲストとして招かれた貴婦人たちが、今度は自分の館でも同様に行うようになります。こうしてパーティ前や、夕食前に開かれる優雅なお茶の時間が、貴族の女性たちの社交として定着します。

これがイギリスを象徴する優雅なお茶の文化、アフタヌーンティーです。

1859年には、ウーバンアビーにヴィクトリア女王夫妻が訪れ、12000人の大規模なアフタヌーンティーが開催されました。こうしてイギリス上流階級の習慣が、やがてイギリス全土に流行し、階級や時間帯に応じたさまざまな「紅茶の文化」を発展させていくこととなります。

アフタヌーンティーのティーフード

この頃はまだ生クリームを使った菓子は主流ではなかったため、アフタヌーンティーのティーフードは、バター付のパン、ビスケット、果物、サンドイッチなどシンプルなものでしたが、食べきれないほどたっぷりと用意するのがマナーでした。また、ティーフードがシンプルな分、テーブルには華やかな演出が必要とされました。

アフタヌーンティーの華やかな演出

高価な茶器とティータオル

盛り付ける器は花柄や金彩などが好まれ、華やかなティーセットがもてはやされるようになります。こうした陶磁器は大変高価なものでしたから、執事やハウスキーパーと呼ばれる上級の限られた使用人だけが扱うことを許されました。皿洗いさえ誰にでもできる仕事ではなかったのです。

こうした高価な陶磁器を拭くためのタオルは、こちらも高価なリネン製で「ティータオル」と呼ばれました。ティータオルは、今でもイギリスの台所では必須のアイテムとなっています。

贅沢の象徴でもあった生花

華やかだったのは器だけではありません。テーブルセッティングにも細心の注意が払われました。特に、テーブルの上を飾る生花はとても重要な要素の一つです。春や夏などの花の季節はともかく、冬に生花を飾り付けるのはとても贅沢なこととされました。当時は、まだ温室での栽培が難しく希少だったからです。

ちなみに、アフタヌーンティーといえばキュウリのサンドイッチがつきものですが、このサンドイッチもかつては同様の理由で「贅沢の象徴」でした。きゅうりはいつでも手に入るものではなかったのです。

アフタヌーンティーのティーセットに花柄が多く用いられているのは、こうした花の少なさを補う狙いもあったのです。テーブルを飾る生花を補うものとして「陶花」も制作されました。

Maya Kruchankova/Shutterstock.com

Maya Kruchankova/Shutterstock.com

※5 ティーカップ&ソーサー&ケーキ皿の3点が組み合わされるティーセットを「トリオ」という