ティーバッグの普及による楽しみ方の変化
1930年代に入ると、CTC製法によるティーバッグの紅茶が普及するようになります。カップとお湯さえあれば、誰でもおいしく紅茶を味わうことができる手軽さは、あっという間に人々の間に広まりました。
紅茶はこうして、全ての階級において気軽に楽しむことができる文化となります。
この手軽さによって、アフタヌーンティーだけではなく、朝食、仕事や家事の合間の休憩、夕食等々、1日に6~7回にわたってティータイムが設けられるようになり、紅茶は名実ともにイギリスの国民飲料となりました。
スナックセット
楽しみ方が変わればその用途に合わせたカップも登場します。特に、忙しい朝や気軽に利用できる大ぶりのマグカップに人気が集まります。さらに、簡単にティータイムを過ごすことができるように、「スナックセット」という非常に便利な器も登場します。
ホテルラウンジやアフタヌーンティースタンドの登場
また、家庭だけではなく外出先でも気軽にアフタヌーンティーを楽しめる場として、ホテルのラウンジやティールームなども展開されるようになっていきます。
サンドイッチやお菓子をのせるスタンドが登場するのもちょうどこの頃です。初期のころは木製の大型のものが中心でテーブルに添えておくようなものでしたが、次第に小型化されテーブルの上に置かれるようになります。素材も、銀メッキやステンレスが主流となっていきました。
茶器の変化
ダブルスタンプ
紅茶の大量生産の時代は、茶器の大量生産の時代でもありました。安価なティーカップが量販されていくなかで、一点物やオリジナリティの高い「逸品」を探す人々も現れます。デパートなどが陶磁器の窯とコラボレーションして、限定品を生産するようになるのもちょうどこのころです。こうして作られた器には、「ダブルスタンプ」といって、窯のマークと企業のマークが入っています。
斬新な発想のデザインも
また、これまでの古典的なデザイン様式だけではなく、「ジャポニスムの桜と新古典主義のリボン」や「シノワズリーの唐草文様とロココ様式のバラ」といった、自由で斬新な発想のデザインがたくさん生み出されていきました。
アール・ヌーヴォーとアール・デコの流行
やがて19世紀末から20世紀初頭にかけて、「アール・ヌーヴォー」「アール・デコ」の流行が訪れます。
アール・ヌーヴォーとは
アール・ヌーヴォーは、アーツ・アンド・クラフツ運動の主張を継承してさらに発展させようとした運動です。
この運動では、曲線を大胆に使い、伝統的なシンメトリーからアンシンメトリーのデザインが流行しました。また、自然の草花や昆虫、動物などを表現したデザインも好まれました。
ティーカップなどにもそれが影響し、多くの窯でアール・ヌーヴォー様式の作品が作られましたが、残念ながらこの運動は第一次世界大戦の影響で、短い期間で終わってしまいます。
機能的でシンプルな美しさを持つアール・デコの誕生
初の総力戦となった第一次世界大戦では、男性が戦地に駆り出された結果、国内産業を支える役割を女性が担うようになりました。これが女性の社会進出を促していきます。それまで良妻賢母として家庭を守ることが役割とされていた女性が、戦後も、職業をもち、男性とともに社会で活躍する時代へと突入します。
家庭ではなく外で活動する女性たちの服装も、機能的でシンプルな美しさが求められていくようになりました。こうした流行は、服飾だけではなく、美術、工芸、建築等々さまざまな分野へ波及し、アール・デコと呼ばれます。幾何学的なデザインのカップなどが登場するのもちょうどこのころです。
第二次世界大戦後の変化
やがて第二次世界大戦の混乱を経て、世界の勢力や経済は大きく変化しました。特に1947年のインド独立以降、多くの植民地を失ったイギリスのダメージは大きく、陶磁器の窯もその影響を受けることとなります。
スポート窯・ウエッジウッド窯の経営破綻
原料や人件費の高騰、生産拠点を中国や東南アジアに移すメーカーも増え、長い伝統のなかで培われてきた職人の技が衰退することが懸念されるようになっています。
特に、2008年のスポード窯、それに続く2009年のウェジウッド窯の経営破たんは、イギリスだけではなく世界中のファンを驚かせました(※6)。
現代のティーライフと茶器
現在は、生活様式の変化とともにさまざまなカップが求められています。
電子レンジや食洗機に対応しているもの、あるいは観賞用として飾ることを目的としたもの、生活の中で気軽に扱えるもの、キャラクターが描かれたもの、歴史的な作品の復刻版など、人々のニーズも多様になっています。
こうした時代の動きに敏感に反応してきたカップは、これからも私たちのティー・ライフを美しくまた楽しく彩ってくれることは間違いないでしょう。
※6 現在、スポードはロイヤルウースター社、ウェジウッドはKPS キャピタルパートナーズ社によって設立された新会社WWRD Holdings Limitedの傘下において再建されている。

