Lesson11-7 アーツ・アンド・クラフツ運動とジャポニスム

19世紀後半、イギリスをはじめとするヨーロッパ各国では、産業革命による工業化に拍車がかかり、大量生産の時代を迎えます。これにより様々なものが手に入れやすくなり、茶の文化も多くの人々に広まる事となりました。

 

アーツ・アンド・クラフツ運動の広がり

しかし、その一方で、そうした機械による大量生産に疑問を持ち、職人の熟練した緻密な技を再評価する動きがおこりました。職人の高度な技術と実用の美が調和した中世ゴシック様式への回帰運動、「アーツ・アンド・クラフツ運動(または「美術工芸運動」Arts and Crafts Movement)」です。

この運動は、ウイリアム・モリスという人物によって提唱され、のちのアール・ヌーヴォーへも影響を与えることとなります。

陶磁器業界への波及

陶磁器業界でも、この運動に触発されてさまざまな活動を行う窯が出てきました。

ミントン窯

まず、ミントン窯では、二代目のハーバート・ミントンが中世象嵌タイルの再生に取り組みます。彼は、建築家のオーガスタス・ビュージンとともに、中世の窯に残されていた床タイルの破片から、これを復活させるという不可能ともいわれた技術の再生に情熱を注ぎました。

こうして生産されたミントンのタイルは、イギリスのウェストミンスター大寺院アメリカの国会議事堂など、イギリス国内はもとより国外でもさまざまな建物に利用されます。

日本でも見ることができるミントンタイル

当時のミントン窯製タイルは、実は日本でも見ることができ、東京都台東区池之端にある「旧岩崎邸 洋館」は、ミントンのタイルがふんだんに使われています。洋館は、ジョサイア・コンドルにより設計され、1896年(明治29)年に完成しました。

この1階のベランダなどに敷き詰められているのが、ミントン窯製のタイルです。実は、この美しく敷き詰められたタイルがミントン窯で作られたタイルであることが判明したのは、21世紀に入ってからのことです。

修繕工事の際に庭土のなかから、ベランダで使われているタイルと同じタイルが見つかり、その裏に「MINTON Stoke-on-Trent」という印字があり、これがアート・アンド・クラフツ運動さなかのミントン窯で作られたものであることが明らかとなりました。

ロイヤルドルトン窯による創作陶器

ロイヤルドルトン窯の二代目ヘンリー・ドルトンもこの運動に啓発され、デザイナーによる一点ものの創作陶器の製作を開始します。1878年に開催されたパリ万博において、ドルトン窯の作品が金賞を受賞すると、多くの窯がこれにならうようになり、よりオリジナリティの強い作品が作られていきました。

 

ジャポニズムブームの到来

Olena Kaminetska/Shutterstock.com

Olena Kaminetska/Shutterstock.com

アート・アンド・クラフツ運動が盛んであったころとほぼ時を同じくして、ヨーロッパでは「ジャポニスム」のブームに沸いていました。

日本人独特の手仕事が生みだす繊細な工芸品、大胆な構図の北斎らの浮世絵などが、ヨーロッパの人々の感性に衝撃を与えたのです。上流階級の人々は日本の陶磁器や骨董などを収集し、そうしたものを手に入れられない中産階級以下の人々は、コピー商品や比較的安価に手に入る日本の工芸品(特に団扇など)を生活の中に取り入れて、ジャポニスムを楽しみました。

こうしたブームの中、ロイヤルウースター窯、ミントン窯など多くの窯で、ジャポニスムを意識したデザインの作品が作られていきます。