アフタヌーンティーとは
19世紀にアンナ・マリア公爵夫人が、ゲストをお茶と軽食でもてなしたことから始まったアフタヌーンティーは、イギリスを代表する文化の一つとなりました。上流貴族の習俗として始まったものですので、かなり贅沢な一面を持っています。
まずは招待客を決めることから
アフタヌーンティーを開催するときに最初に行うべき仕事は、招待客を決めることです。招待する・しないの采配によってはその後の人間関係に大きく影響を及ぼすものであったため、相当に気を使ったようです。
頼りになる執事の存在
誰を呼ぶべきか呼ばざるべきか、悩んだときには執事がよき助言者となりました。執事は世襲制であることが多かったため、他家から嫁いできた女主人よりもその家の古くからの人間関係には詳しかったからです。しかも、執事には執事同士の情報ネットワークがありましたので、大変頼りになる存在だったようです。
インテリアの準備
招待客が決まったら、応接室の環境整備です。もっとも大切なのは茶会の雰囲気を決定づけるインテリアへの配慮でした。
カラー、クロスやカーテン、家具、絵画などを配置していきますが、これには高い教養と上品なセンスが必要でした。テーブルクロスやティーナフキンは、リネンが上等とされましたので、その洗濯やアイロンがけといったことにも気を使わなければなりません。もちろん、ホコリやチリなどがあったら言語道断ですので、シャンデリアや暖炉といったものに至るまで、徹底的にメイドたちに掃除をさせます。
上流階級の人々の屋敷は広く、部屋数も多かったため、異なるテーマでセッティングされた応接室が複数あることもあったので、このセッティングや掃除はメイドたちにとって大変な重労働でした。またメイドたちは、女主人の指示に従って生花も飾り付けました。
最も大切なティーセットの準備
もちろん、一番肝心なティーセットも気を抜けません。部屋の雰囲気やインテリアに合うものであることはもちろんのこと、流行も取り入れる必要がありましたし、時にはオリジナルのティーセットを作って揃えるということも行われました。
ティーフードの準備と菓子職人
ティーフードは、招待客の好みや流行を取り入れてメイドたちが作ります。こうしたティーフードを作る部屋を「スティルルーム」といいました。
また、アフタヌーンティー専門の菓子職人を雇うこともありました。「コンフェクショナリー」は、キャラメルやボンボン、砂糖がけのフルーツなどのお菓子を作る職人で、「ペストリー」は、スフレやマカロン、ムースやタルトなどを作りました。
おもてなし成功のためのチームプレー
さて、当日はたくさんのゲストがやってきます。
一大企画を滞りなく完遂させるためには、女主人と使用人たちのまさにチームプレーが肝心でした。執事らはゲストの誘導、スティルルームではメイドがお茶を淹れ、接客を専門に行うパーラーメイドが女主人の指示に従ってサポートをしました。
女主人の役割は重要で、随時ゲストにお茶を注ぎながら、彼らを楽しませる知的でセンスのある会話を行い、優雅にふるまわなければなりません。ヴィクトリア朝のアフタヌーンティーは、午後4~5時ごろにスタートして、およそ2時間程度で終了します。その後に、ディナーがふるまわれるときもありました。
なお、アフタヌーンティーの少し前の午後3~4時ぐらいに、使用人たちはスティルルームでささやかなアフタヌーンティーを楽しむことができたそうです。
アフタヌーンティーの象徴となったティーガウン
アフタヌーンティーの衣装として好まれたのが「ティーガウン」です。
腰回りをがっちりと補正するドレスなどではなく、ゆったりとしたこのドレスは、アフタヌーンティーの象徴となりました。流行を取り入れるのはもちろんのこと、女性らしさを演出するために、やわらかい生地にちょっと透けて見えるような素材や、レースを使うことが人気のデザインでした。
アフタヌーンティーにも見られるジャポニズム
また18世紀後半から19世紀にかけては、ヨーロッパでジャポニズムのブームが沸き起こっていた時代です。日本の絵画や風俗などが階級を問わず人気となり、当時の風俗画を見ると、そうしたジャポニズムの影響を垣間見ることができます。
アフタヌーンティーの際にも、室内装飾や女性たちのドレスや装身具などに日本でおなじみの意匠や小道具が描かれていることがあります。
ギュスターヴ·レナード(ベルギー)は、肖像画や風俗画を多く残したベルギーの画家です。着物をティーガウン風に着ていて、日本の屏風に、陶器、厨子のような棚、団扇などが見える作品があります。

